公開
2020-11-28
執筆者
野嵜健秀 ( @nozakitakehide )
初出
闇黒日記 平成十七年八月十四日

書評/『書いてみようニッポン 日本国憲法』

読売新聞に載つてゐた廣告より。

齋藤先生、「声に出して読みたい日本語」のやうな著書を出してゐて、明治大学文学部教授であらせられる訣だけれども、まあ、日本語の專門家の先生だと言つて良いだらう。その齋藤先生が「日本国憲法」の書寫の本を推薦してゐる。そんな訣で、齋藤先生は「日本国憲法」の文章を日本語の文章として「良い」と認めてをられるから、「讀者」に「なぞり書き」させる本書を推薦してゐると考へざるを得ないのだが、果して「日本国憲法」は「良い文章」か。

「日本国憲法」が、英文で草案が作られ、それを飜譯したものである、と云ふ事は良く知られてゐる事實だ。もちろん、飜譯であつても、まともな日本語の文章となつてゐる事はあり得る。が、實際の「日本国憲法」の條文は何うか。福田恆存氏も「當用憲法論」で指摘してゐるが、「日本国憲法」の條文は澤山の惡文を含んでゐる。日本語として不自然である、意味が不明瞭である、論理的に可笑しい、云々。そんな「惡文」を含む「日本国憲法」を「なぞり書き」させようと言ふのが、この『書いてみよう ニッポン 日本国憲法』なる本である。

齋藤先生に御尋ねしたいが、先生は「日本国憲法」の文章をどのやうに評價してをられるのですか。「惡文」ではない、「声に出して読みたい日本語」だと評價してゐるのですか。さうでないと言ふのならば――あなたは日本語の專門家でせう、どうして「惡文」を含む「日本国憲法」を「なぞり書き」させるやうな本を推薦してしまつたのですか。

いづれにせよ、私は齋藤先生の日本語に關するセンスと日本語に關する全ての發言を疑はざるを得ない。